#恋ボク 執筆裏話 2話 〜清瀬さんとの出会いは芝辻さんキッカケかもしれない〜

2017年の年初に書いた「【2001年】孫さんとの思い出(YahooBB立上げ)」が軽くバズった。
周囲の人からも「あれ、面白いっすね」と言われた。

関与先の一つであるイラストマンガ制作の「フーモア社」(https://whomor.com/)の芝辻さんから、「須田さんの話、マンガ化しましょうよ」と言われた。

芝辻さんと知り合ったのは、2011年頃だっただろうか。当時僕が関与していたソーシャルゲームの会社で、会議室が広々と余っていた。「スタートアップ企業に無償で間借りさせる」プロジェクトを立ち上げた。そこに入居してきた若手起業家の一人が芝辻さんだった。アクセンチュアの同僚と一緒に起業したらしい。

入居者たちとの忘年会で初めて会話をした。「犬のような表情をする爽やかな青年」という好印象だった。子供の頃マンガ家を志望していたが、途中で挫折して、東工大を出て、アクセンチュアを経て起業、とのことだった。そういえば、僕も小学時代にマンガを描いていたのを思い出した。罫線のあるノートで作った「スックンコミック」。小学校低学年でのコロコロコミックのパクリから始まり、高学年になると週刊少年ジャンプをパクるようになった。「ゲームセンターあらし」をパクり、「超人キンタマン」をパクった。「ウルトラマン」や「ウルトラマンセブン」もパクった。「キン肉マン」「北斗の拳」「キャプテン翼」のパクリを一人で描いていた。小6で「ぎゃんぶらぁ自己中心派」をパクったの最後のパクりだった。

幼少期の「マンガ」と高校時代「ハンドボール部」という2つの共通点が親近感を覚えて、何かと相談に乗るようになった。「マンガで一発当てましょう!」という話になり、僕がネームを描いて芝辻さんに作画してもらうみたいなことになった。僕は20年ぶりに大学ノートをコンビニで買い、水天宮前近くにあるサイゼリヤに一人こもってネームを描いては、新橋のスタバで芝辻さんに提出した。

芝辻さんは「ドラゴンボール」が好きで、小説だと「星新一」のショートショートが好きと言っていた。僕はドラゴンボールの連載が活況だったころに週刊少年ジャンプを卒業した記憶がある。中学生の頃だろうか。強くなって誰かと戦って勝つ、みたいないつまでも子供っぽいことをやっていてはアカンと思っていた。より現実社会に近い青年誌方面(麻雀マンガとか)に成長していった記憶がある。

そんな志向のすれ違いもあってか、その「マンガで一発当てようプロジェクト」は掲げた拳がいつの間にか降りているかのように姿を消した。

小学生が主人公の学園モノ。夢のセカイと現実セカイが交差し、現実と夢を行き来しながらも、現実世界で起きる課題を解決していくという「タイムリープっぽいシナリオだったような記憶がおぼろげにある。

あれから5年。
消えたかに見えた灯火が再び…。「あのstory、マンガ化しましょうよ!」

僕はstorys.jpというサービスをやってる中の人、CTOの和田さんにメッセを送ってみた。イベントで一度お会いした程度の仲だったけど。当時はもう既に「コインチェック」という仮想通貨事業がブレイクしていて、社名を変更する直前ぐらいだったと思う。

「storys.jp」のトップページに「サイト運営責任者:清瀬」という記載があった。

「一体、どんな人なんだろうか…」

肌寒い2017年2月。僕はメルカリで買った3,000円の黄色いダウンを羽織って、不安げな表情で渋谷と恵比寿の間にある小奇麗なオフィスビルに入った。

小さな会議室に通され、しばらくすると、やや浅黒で細身、人の良さそうなはにかんだ表情をした、ピノキオのような青年が腰を低くして入ってきた。

「あ、よかった。人の良さそうなタイプかな」

簡単なご挨拶から始まり、和気あいあいと小一時間雑談をして、終始好印象のままビルを後にした。
清瀬さんはstorysというサービスへの思い入れが強い感じだった。会社全体ではコインチェック事業が主力になっていて、storys.jpはほとんど自分ひとりで運営している、とのことだった。

まさかこの後、あんな相談事に巻き込まれることになるとは、知る由もなかった。

<つづく>

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