#恋ボク 執筆裏話 5話 〜IVSdojo(金沢)でのスベり始め〜

翌日に「質問箱というサービスをジラフが買収した」というニュースが出た。
「何だよ、ほぼ決まってるディールに対して、更に上値を探るようなメッセじゃねーかよ!」と突っ込もうとしたけれど、清瀬さんもエンジニアに頼まれての単なる「伝書鳩」っぽかったので、問い詰めるのは辞めた。

そんな他社のサービスよりも「storys」をどうにかしなければならない。

リニューアルへの失望するのもつかの間、今度は清瀬さんから「取引先の吉本興業さんがスタートアップとの提携を模索しているらしいのでご紹介したい」とメッセが入った。

「何かまた『雑なパス』ではないだろうか?」と勘ぐったが、間に先日神楽坂ランチでご一緒した出版社のオトナな方がきちんと間に入ってるようで少し安心した。

年の瀬に入って、あっという間に2017年は終わろうとしていた。
2017年12月に金沢でIVSというスタートアップ企業が集まる大きなイベントがあった。僕は初めて参加することになっていた。「IVSdojo」(道場)と題して、大きなホールで数百人の前でプレゼンしなければならなかった。そんな体験は初めてだ。

前日にアパホテルで「M1グランプリ」の過去動画を見まくって、イメージトレーニングに努めた。

2017年12月、当時IVSイベント内では「仮想通貨」のネタで持ちきりだった。「スタートアップに投資するよりも、仮想通貨を買ったほうがいいんじゃねーか」などと揶揄されていた。

そんな、やや浮かれ気味な大勢の聴衆の前で、地味にスベった。

「♪雨は夜更け過ぎに、雪への変わるだろう♪」
山下達郎を口ずさんでスベった。

僕の後、現ヤフー社長の川邊さんは見事に聴衆の笑いをとっていた。(さすがすぎるぜ)

スベった心を癒そうと、一人イベントを切り上げて、金沢「兼六園」に向かった。雪がしんしんと降ってきた。いつものボロボロのメルカリ黄色ダウンではなく、昔マルイのセールでかった白の革ジャンを着て臨んだ北陸の地。

頭の上にしんしんと雪が積もる。寒すぎて兼六園の景色が全然目に入ってこないし、スベった傷は一向に癒やされない。

冷えたカラダを温めようと、どこか喫茶店にはいってコーヒーでも飲もうかと思ったら、歩けど歩けど喫茶店がない。コンビニもない。風も吹いてきて吹雪みたいだ。傘も持ってないのでパーカーのフードをかぶる。聴衆に少しでも何かをアピールすべく「クラウドサインで投資する」ってプリントしてある黒いパーカーを着てきたのだが、カシミアのセーターでも着てくれば良かったと後悔した。(持ってないけど)

あまりにも寒すぎてどこかの建物の中に入らなくては投資、いや、凍死してしまいそうだ。


あまりの身体的な寒さと精神的な寒さに極限状態に追い込まれ、意識が朦朧とする中で、ふと昔のことが頭をよぎった。

 

「あ。。。ボク、この土地に来たことがある。。。」

 

まるで前世の加賀100万石の武将が降臨してきたのか、一向一揆を起こした僧侶が乗り移ったのか。

 

なんてことはなかった。

 

最初に付き合った彼女ナミちゃん(拙著では『マミ』)と、金沢に来たことがあったのを思い出した。


「20年ぶり」の寒すぎる金沢だった。

 

吹雪をしのげそうな建物に、倒れるようにすべりこんだ。無人コインランドリーだった。
浮浪者と勘違いされたのか、地元のおばさんがチラ見して、見て見ぬふりをするかのように通り過ぎていった。

<つづく>

#恋ボク 執筆裏話 4話 〜storysリニューアルへの恨み〜

2017年7月。清瀬さんが自ら起業してstorysを引き続き運営する方向になった。

1010株式会社。

まず読み方が分からなかった。
「じゅうじゅう」と読むらしい。

当初企業への事業譲渡の方向で動いていたが、紆余曲折あって、ずっと運営者だった清瀬さんのやりやすい方向になった。今思い返すと、これも本業の仮想通貨事業(コインチェック)が大きく当たっていたから成り立ったのだろう。

僕はずっと相談に乗ってきた延長線上で「株主にもなってほしい」とのことで、コインチェック改め「じゅうじゅうの清瀬さん」をお手伝いすることになった。

フルコミットは清瀬さんのみで、エンジニア、企画等は他の会社で本業を持つ「お手伝いプロジェクトチーム」だった。西新宿の小さなカフェで他のメンバーの方と顔合わせのランチをした。

運転資金もないので、早々に事業会社から資金調達もすることになった。清瀬さんの方で某上場企業とコンタクトがあり、資本業務提携契約を進めた。

2017年10月。並行してサイトのリニューアルをするとのことだった。
また、吉本興業さんとの協業プロジェクト「カタリエ」の第二弾も仕込んでいるとのことだった。

「storys」という自分の物語を投稿するサイトは、個人的にサービスに共感するポイントはあったけど、ユーザー目線で改善して欲しいところがいくつもあった。

2017年初に書いた僕の「YahooBBのハナシ」は多少バズったのだが、読んだ人との感想投稿やいいねをもらった人とのコミュニケーション設計がイマイチだった。これはちょうど同じ年に株主として手伝い始めた「voicy」という音声サービスでも同じような現象が起きていて、とにかく「投稿者と読者」「発信者とリスナー」のコミュニケーション設計がイマイチだと「サービス継続」がしずらい。そこがサービスの「コアバリュー」なので、そこをしっかりと改善すべきだった。

僕は楽しみにリニューアルを待つとともに、voicyでも同様小さなプチ株主だけど「サービスを自ら触りまくる」労働者プレイをしなければと思っていた。そう、リニューアル後のABテストも兼ねて、また「カタリエ2」に何かしらのネタを投稿してみようと。

リニューアル後のサイトを確認してみると、4,000ぐらいシェアされていたfacebookシェアカウンタが0になっていた。

「ゼロかよ…」

それだけでなく、SEOもイマイチで流入数が落ち込んでしまったみたいだ。

ある日、SEOやUXに詳しい、大柴さんことべるおさんの渋谷小部屋に雑談しに行くと、

「storysのリニューアル、イマイチっすね。元に戻したほうがいいっすよあれ」

とのことだった。

「別件ですが、質問箱ってサービス知ってますか?あのサービスを買うところありませんか?●億で」

清瀬さんからは、あまりにも別件すぎるメッセが入ってきていた。

<つづく>

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#恋ボク 執筆裏話 3話 〜エムグラムとクイズ大会〜

2017年2月。storys清瀬さんとの初面談のあと、ちょくちょくメッセージのやり取りをするようになった。
それから1ヶ月ほどたったある日「今、少しだけお電話してもいいですか?」と電話をかけてきた。

僕は電話が嫌いだった。
会議中とか出られないし、履歴残らないし、仕事では「メッセで送ってください」と冷たくあしらうことが日常茶飯事だった。どうも、履歴に残したくない相談みたいだ。

まあ何となく想像は出来ていた。
会社名も「コインチェック」に変更していたし、どう考えてもメイン事業じゃない。

storys.jpの「事業売却」だ。

僕は前職のアエリア時代にM&Aのシゴトもしていたので、要は第三者的なアドバイスが欲しいとのことだった。
清瀬さん自身は引き続きstorys.jpの運営に携わりたいとのことなので、買い手が誰になるかはとても重要だ。

M&Aというのは「バリュエーションは●億円」などと数字のニュースばかりが目立って独り歩きし、「儲かりましたね!」とか「のれん代回収できんのかよ」などのコメントがネットでは飛び交うが、そんな「数字」ベースのことばかりが取り上げられるが、本当は「中ではたらく人」が重要だ。

事業譲渡されたあと、新しい資本家のもとで、本当に中の人が引き続き価値を向上できるのか?
「PMI」などといって買収した後が大変ですよなんてのは言葉では分かっているけど、やったことある人は全然いない。

どこに買われるかに関わらず、まずは「清瀬さん」個人がどんな価値観な人なのか、などを把握しなければ、マトモなアドバイスは出来ない。

2017年5月に初めてランチをした。清瀬さんがお世話になっている出版社のWさんと3人で、神楽坂にある落ち着いた和食屋さんだった。古民家のような作りの佇まいで、漆黒で艶がかった階段をあがって2階に通されると、畳の香り漂う個室に通された。窓からは小さな庭が見え、梅の木にウグイスが止まっていてもおかしくないような趣があった。

それぞれの自己紹介など、ざっくばらんに話した。誰もが自己主張することない会話が続き、時間がゆっくりと流れた。2時間ほどのランチだった。神楽坂上でWさんとは別れ、僕と清瀬さんは坂を降りていった。「もう少し話しませんか?」と声をかけ二人で坂の下にあるカフェに入った。

清瀬さんは僕が今まで付き合ってきている「起業家」とは全く異なる性格や価値観の持ち主であることが分かってきた。storysという人の物語を提供するプラットフォームを熱心に運営しているだけあって「人への共感」が強い。

当時SNS上で「エムグラム」という性格分析サービスが流行っていた。IT界隈の人間がこぞってログインして自分の性格分析結果をSNSにアップしていたのだ。今後の事業譲渡を通じて「起業家」になろうとしていた清瀬さんのエムグラムはこんな感じだった。

僕がSNSで見ていた10人ほどの起業家のエムグラムとは全く異なるものだった。
起業家はどうしても「オレオレ」な自己主張の強いタイプが多い職種であるけれど、清瀬さんは真逆のようなタイプだった。

その日はカフェで「実はクイズも好き」「あ、オレも好きっすよ」みたいな話にもなり、清瀬さんのお誘いで7月にクイズ大会に誘ってもらった。

僕と清瀬さんの距離は少しずつ縮まっていた。

<つづく>

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#恋ボク 執筆裏話 2話 〜清瀬さんとの出会いは芝辻さんキッカケかもしれない〜

2017年の年初に書いた「【2001年】孫さんとの思い出(YahooBB立上げ)」が軽くバズった。
周囲の人からも「あれ、面白いっすね」と言われた。

関与先の一つであるイラストマンガ制作の「フーモア社」(https://whomor.com/)の芝辻さんから、「須田さんの話、マンガ化しましょうよ」と言われた。

芝辻さんと知り合ったのは、2011年頃だっただろうか。当時僕が関与していたソーシャルゲームの会社で、会議室が広々と余っていた。「スタートアップ企業に無償で間借りさせる」プロジェクトを立ち上げた。そこに入居してきた若手起業家の一人が芝辻さんだった。アクセンチュアの同僚と一緒に起業したらしい。

入居者たちとの忘年会で初めて会話をした。「犬のような表情をする爽やかな青年」という好印象だった。子供の頃マンガ家を志望していたが、途中で挫折して、東工大を出て、アクセンチュアを経て起業、とのことだった。そういえば、僕も小学時代にマンガを描いていたのを思い出した。罫線のあるノートで作った「スックンコミック」。小学校低学年でのコロコロコミックのパクリから始まり、高学年になると週刊少年ジャンプをパクるようになった。「ゲームセンターあらし」をパクり、「超人キンタマン」をパクった。「ウルトラマン」や「ウルトラマンセブン」もパクった。「キン肉マン」「北斗の拳」「キャプテン翼」のパクリを一人で描いていた。小6で「ぎゃんぶらぁ自己中心派」をパクったの最後のパクりだった。

幼少期の「マンガ」と高校時代「ハンドボール部」という2つの共通点が親近感を覚えて、何かと相談に乗るようになった。「マンガで一発当てましょう!」という話になり、僕がネームを描いて芝辻さんに作画してもらうみたいなことになった。僕は20年ぶりに大学ノートをコンビニで買い、水天宮前近くにあるサイゼリヤに一人こもってネームを描いては、新橋のスタバで芝辻さんに提出した。

芝辻さんは「ドラゴンボール」が好きで、小説だと「星新一」のショートショートが好きと言っていた。僕はドラゴンボールの連載が活況だったころに週刊少年ジャンプを卒業した記憶がある。中学生の頃だろうか。強くなって誰かと戦って勝つ、みたいないつまでも子供っぽいことをやっていてはアカンと思っていた。より現実社会に近い青年誌方面(麻雀マンガとか)に成長していった記憶がある。

そんな志向のすれ違いもあってか、その「マンガで一発当てようプロジェクト」は掲げた拳がいつの間にか降りているかのように姿を消した。

小学生が主人公の学園モノ。夢のセカイと現実セカイが交差し、現実と夢を行き来しながらも、現実世界で起きる課題を解決していくという「タイムリープっぽいシナリオだったような記憶がおぼろげにある。

あれから5年。
消えたかに見えた灯火が再び…。「あのstory、マンガ化しましょうよ!」

僕はstorys.jpというサービスをやってる中の人、CTOの和田さんにメッセを送ってみた。イベントで一度お会いした程度の仲だったけど。当時はもう既に「コインチェック」という仮想通貨事業がブレイクしていて、社名を変更する直前ぐらいだったと思う。

「storys.jp」のトップページに「サイト運営責任者:清瀬」という記載があった。

「一体、どんな人なんだろうか…」

肌寒い2017年2月。僕はメルカリで買った3,000円の黄色いダウンを羽織って、不安げな表情で渋谷と恵比寿の間にある小奇麗なオフィスビルに入った。

小さな会議室に通され、しばらくすると、やや浅黒で細身、人の良さそうなはにかんだ表情をした、ピノキオのような青年が腰を低くして入ってきた。

「あ、よかった。人の良さそうなタイプかな」

簡単なご挨拶から始まり、和気あいあいと小一時間雑談をして、終始好印象のままビルを後にした。
清瀬さんはstorysというサービスへの思い入れが強い感じだった。会社全体ではコインチェック事業が主力になっていて、storys.jpはほとんど自分ひとりで運営している、とのことだった。

まさかこの後、あんな相談事に巻き込まれることになるとは、知る由もなかった。

<つづく>

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#恋ボク 執筆裏話 1話 〜ストーリーは突然に〜

僕は公ではブログとかも書いてないし、書くこと自体「かったるい」と思っていた人種だ。

「storys.jp」というサービスは2012年の年末頃にツイッターだかfacebookだかで知った。「インキュベイトファンドの和田さんとANRIのアンリさんが投資してる会社だ」という印象。

IT業界人は新しいサービスが出たら「すぐにいじってみる」という職業病を抱えがちだ。僕も早速登録だけは済ませてみた。その後、2013年の年初にインキュベイトファンドの和田さん宛に以下のようなメッセを送っている。

 

取り急ぎ、何度も聞かれてうざい自分のエピソードの題名だけポストしてみた。
「2001年 ヤフーBB立上げの話」
「2002年 COOL社を会社分割で楽天に売却した話」
「2003年 お惣菜屋を潰した話」
「2004年 アエリア逆転上場の話」

題名をポストしただけで「この話、聞いてみたい」という通知が来た。「いいね」や「ファボ」のような機能だ。
インキュベイトファンドの「和田さん」とstorys.jpを作っていたレジュプレス(現コインチェック)CTOの「和田さん」の、「ダブル和田さん」からの「聞いてみたい」を頂いていた。

ただし、僕は一向に「本文を書く」ことに着手できず、ずっと放置していた。
足掛け4年ぐらい放置していたことになる(笑)。

その4年の間にも、いつかは書こう、いつかは書こうと思っていたが、「優先順位が低いな」などと何かと言い訳をつける無能オトコのように先延ばしにしていた。

そんなとき、吉本興業さんとstorys.jpが提携して、原作作成コンテストをやっている、というのをSNSで見かけた。「将来的には映像化されるかもしれない」との謳い文句だった。締切まであと1週間足らずだった。

「映像化か…」

その当時、韓国焼酎「鏡月」をガブ飲みしながら雑談をしていた近しい後輩から、
「須田さんの昔話、特にソフトバンクの孫さんと働いてたときの話とかって、いずれ自費制作で映画にでもした方がいいかもですね」
などと囃し立てられていた。

「映像化を餌にしたコンテスト」と「鏡月による泥酔」がコネクティングドッツした瞬間である。あと1週間という締切効果も良かった。ただただ、15年前を思い出す作業をしながら、書きなぐった。2017年の年始に何とか書き終えた。

【2001年】孫さんとの思い出(YahooBB立上げ)長編

である。

文字数としては13,000字ぐらいだった。
卒業論文すらロクに書かなかったので、人生で最大の長文だった。読書感想文すら書いたことがない。中学か高校で「麻雀放浪記」を読書感想文で書いて、国語の先生に怒られたのを思い出した。これまでの人生で自分が書いた一番の長文は多分、有価証券報告書か目論見書ぐらいだったろう。

storysに投稿したものの、特に誰にも伝えなかったし、ましてや自分のSNSで拡散することもしなかった。
それなのに。。
なぜか。。

気づくと「これは面白い!」などとSNSで影響力のあるインフルエンサーが拡散していた。

2017年2月19日。「家入砲」である。誰にも言ってなかったのに一体どこで見つけたのだろうか…。神がかりだ。

続いて翌日の2月20日


けんすう砲」である。

2017年当時ツイッターは休眠状態だったので気づかなかったが、そのツイッターの波はfacebook側に及んできて、やけにメンションが飛んでくるようになった。メルカリの山田進太郎さんがシェアし、アイスタイルの菅原さんがシェアし。個人投資家の松本浩介さんや有安さんもシェアし…。

5,000近くシェアがされていた。

でも、これはほんの始まりに過ぎなかった。

<つづく>

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