#恋ボク 執筆裏話 12話 〜編集会議③:読書しろと雑談チャット〜

5月中旬のキックオフMTGから編集会議は合計6回あった。

①5/18 @新宿吉本興業
②6/1 @恵比寿NDP
③7/9 @渋谷hive(べるお小部屋)
④7/31 @九段下techouse
⑤8/14 @六本木east ventures
⑥10/2 @九段下techouse

2003年ごろに片手間で「ショートカット辞典」みたいな本を共著で書いたことはあるんだけど、今回みたいにちゃんとした本を書くのは初めてだったので、ダンドリが全然分からなかった。一連の流れはこんな感じだった。

①打ち合わせする
②原稿を書き足せと言われる
③シコシコ一人で原稿を書く(googledocs使った)
facebookメッセで編集メンバーに送る
⑤コメントもらう
⑥また、打ち合わせする

これに加え「読書しろ」の宿題が加わり、それが大変だった。
物語の書き方が分からないので、インプットをしなければならない。インプットしなければアウトプットも出来ないのは当たり前だ。

「ハードシングスは立ち読みしました。まー、シリコンバレーの連中のハナシはあんま好きじゃないんですよねー。だって、西海岸なんて卒業旅行でしかいったことないし、知らねーし」

アホみたいだけど、芥川賞直木賞受賞作や近年の話題作をまずは読むべし、ってことになった。

江分利満氏の優雅な生活
君と夏が、鉄塔の上
博士の愛した数式
夜のピクニック
横道世之介
白石一文

ゴールデンスランバー
ツレがうつになりまして
小説教室
村上春樹 1Q84
夏目漱石 坊っちゃん
長島有 猛スピードで母は
綿矢りさ

6月の2回目編集会議後、結構な勢いで書き足した。6月6日に+20,000字を加筆した62,000字を納品した。「目安としては10万字ぐらいは欲しい」と編集プロのHさんから指導されていたので、まだ足りないのか。

「最終的に映像化する可能性があるコンテンツであることを意識して、全体通して大小の山や谷がありながら、最後の方にカタルシス的なものをもってこられるといい」

などとホリウチさんからもコメントもらうものの、僕は「カタルシス」の意味が分からなかった。ググった。

カタルシス:心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること

僕は「澱」の意味が分からなかかったのでまたググった。

澱:アリストテレスが「詩学」に書き残した悲劇論から「悲劇が観客の心に恐れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」

え?
今度は「アリストテレス」とかも出てきちゃうのかよ。難しすぎるだろ。

兎にも角にも、恋愛エピソードを付け加えて、目標の10万字まで書き加え粘らならない。6月11日に+12,000字を書き足して、74,000字に到達した。

編集会議のfacebookメッセンジャーには依然として雑な会話が続いていく。

「完全に個人の好みで分かれる感じありますが、ラブワゴンとかテラスハウスとかが嫌いなので、『大学生のサークルノリ』な恋愛モノは一切受け入れられませんでした」

「僕は生きるか死ぬかの純愛物語に、笑いのスパイスを加えたいと思います」

「バ●ア●ラの運び屋。●●撮り写真の現像屋」

「ウェルカムフルーツを盗み食い」

「バイク便使うと500円図書券をもらえる権利を部下に譲渡したのが人生初のM&A

ヨドバシカメラポイントを自分に付与」

なかなかの良いフレーズが雑談であがってくる。
メッセンジャー上で猫のアイコンをしたホリウチ氏が饒舌になる。
これはもはや次作「ホリウチ氏外伝」の布石のようにも思える。

むむむ、のんきに雑談している場合ではない。
10万字到達させるためのウルトラCを考えなくては。。。

ボクは仕事で使っている「ウルトラC思考」をフル回転させた。

5日後の6月16日にはなんと120,000字で納品することが出来た。

<つづく>

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#恋ボク 執筆裏話 11話 〜編集会議②:何で「恋愛」が入っちゃた?〜

相田みつをさんや水野敬也さんをパクる僕の「手抜き戦略」は見事に頓挫した。吉本興業さんの「原作発掘プロジェクト」に則り、ちゃんと「原作」を作らなければならなかった。

まずは2017年にバズった「YahooBBのハナシ」と2018年に大賞をとった「惣菜屋のハナシ」をくっつけてリライトした。それだけでとっとと納品してしまえばいいやと思っていた。

Yahooで13,000字、惣菜屋で20,000字ぐらいの分量だった。加筆して47,000字ぐらいにして納品したのがキックオフMTGから10日後の2018年5月29日だった。

これを踏まえて翌月6月1日に恵比寿のサッカーシューズが多く飾られている某社会議室にて第2回の編集会議が行われた。
storys清瀬さん、吉本興業T山さんに加え、編集のプロとして某出版社のHさんと僕の元部下ホリウチ氏がアサインされ、「編集パーティ」は5名になった。

 

「はじめまして。ホリウチと申します」

 

お互いのご挨拶からスタートして、あっという間に2時間が経過した。
編集会議は発散し、ホリウチ氏たちとの雑談に終始した。
98%雑談だったが、2%ほど価値ある解が生み出された。

 

・須田さんはもっと小説を読んだほうがいい
・「恋愛」を入れるしかない

 

僕は人生で圧倒的に読書量が足りなかった。中学の読書感想文は市の図書館で誰かが書いたやつをパクったし、高校の読書感想文は「麻雀放浪記」を書いて怒られた。まずは「これを読んで」と吉本興業T山さんから芥川賞受賞作の又吉直樹さんの「火花」を献本してもらった。

 

テキトーに仕上げたつもりが、本として完成させるには課題が山積だった。兎にも角にも、47,000字では本にするボリュームとしては物量が足りない。雑談の結論としては「書き足せ」ということだった。

前回の会議でとても気になる質問を受けたのを思い出した。

 

「須田さんはなんでこんなに辛い状況でも頑張ったんですか?」

 

 

何で?

 

何でだったんだ?

 

 

嫌だったら逃げればいい。もともと性格的にもあまり嫌いなことを我慢してやるタイプではない。

 

オレ、何でやってたんだっけ??

 

20年ほど振り返ると一つの明確な答えが降りてきた。

 

 

「あ、そういえば、失恋したからだわ」

 


「失恋して、やることなくなったので、社畜してたんだっけ」

 

 

仕事のネタはYahooBB、総菜屋とウケるネタは出し切ったので、あとは書き足すとしたら恋愛ぐらいしかなかった。

 

「よし!残りの文字数はうまく恋愛ネタで誤魔化そう!」

 

僕は何とか文字数を埋めることしか考えてなかった。60点ぐらいの完成度でとっとと終わらせる安易な仕事思考が身についてしまっていた。(そして、そんな仕事術の本も後ほど出ることになるのだが。 #捨て抜く

なお、雑談をメインとした打ち合わせ状況の詳細については、こちらのvoicyで全収録してある。(全70分)

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#恋ボク 執筆裏話 10話 〜編集会議キックオフ〜

本格的に書籍化に動くことになった。沖縄珍道中から1ヶ月後の5月18日に初めての「会議」が行われた。再び吉本興業本社を訪問する。僕とstorys清瀬さんと吉本興業T山さん計3名でのキックオフだ。

 

まず、僕の冒頭演説から。

 

「そもそも、最近の人って本なんて読まないですよ。ボクもそうですけど。マンガにしましょう。マンガだったら読みますよ」

「もしくは、名言集みたいな。1ページに一言書いてあるみたいな。相田みつをさんとか水野敬也さんのみたいな」

 

僕はとにかく書きたくなかった。面倒臭かった。手を抜きたかった。いや、でもイマドキの人は本を読まないってのは本心であり、僕のマーケティング感からの本音でもあった。

 

T山さんより「上司に確認しますね」と優しく回答をもらったが、即日で「却下」となった。そもそも「原作発掘プロジェクト」の一環なので、ちゃんと文章を書いて欲しいと。

僕は翻意して「そりゃそうだ」と思った。水野敬也さんの「ニャンとかなる」というのをパクろうと思った。

清瀬さんから「storysに書いた yahooBBの経験、お惣菜屋の経験、それぞれから得られた金言集を作ってみてください」と言われた。

「よし!金言集なら一行書けばいいのだな。オレでも出来るぞ!」僕は早速evernoteにメモをしだした。

<YahooBB>
・考えるより手を動かす
・自分で考えてもどうにもならないことは考えない(思考停止する)

<惣菜>
・不得意なことはやるな
・不得意なことは、気合でもどうにもならない
・過去の自分は大抵バカ
・バカの仮説思考は大きく間違う

熟考の結果、金言でもなんでもない、なんのひねりもなく、しかもダブっていてMECE感の全く無いものが、6つしか出てこなかった。

「あぁぁぁ、、ダメだ。。楽勝かと思ったのだが、オレは金言集すら作るのはムリだ。。。」

===

僕とstorys清瀬さんは、沖縄祝賀会で知り合ったサンシャインの坂田さんからライブの招待を受けた。
渋谷にあるヨシモト∞ホールというところだった。お笑いは小さい頃から好きだったけど、テレビで見るばかりで劇場で見るのは初めてだった。
渋谷道玄坂の奥地、オッサンが決して立ち入らないような奥地にあった。

「あれ、、ここ来たことがあるかもしれない。。。」

脳の奥底にしまってあるアーカイブを検索する。若かりし頃、過剰に仕事をしすぎたせいで、昔のことはドンドン忘れて脳の奥底の方に置き去りになっていることがよくある。

12年前の2007年あたりだったろうか。前職でM&Aなんかをやっていたころ、大阪の小さなコンテンツ企業を買収した。そこのプロジェクトでシニア向けのお笑いサイトをローンチする記者会見を確かこのホールでやった。西川きよしさんが登壇していて、ガラケーで写メを撮った記憶が蘇った。

これだ。

その後、その会社とはなかなか連携も取れず、連結子会社として管理していくのが大変なので、別の上場企業に売却するなどの30代の暗い記憶が走馬灯のように蘇る。脳の奥底にしまったアーカイブにアクセスすると、たまにこういう陰鬱な気分に陥ってしまう。眉間にシワをよせて、ラッシュアワーのサラリーマンのようなしかめっ面になっている。

「いかんいかん。今日はお笑いライブを見に来たんだった」

サンシャインさんはコントが得意で、キングオブコントでの優勝を目指しているらしかった。ナイナイさんの影響を強く受けているみたいで、学生服を着たコントが目立っていた。

キングオブコントを意識したその単独ライブは審査員がめっちゃ豪華だった。
かもめんたる」のう大さん、「さらば青春の光」の森田さん、「チョコレートプラネット」の長田さん。

観客は20代の若い女性ばかりでオッサンは僕らだけで恥ずかしかったので、扇形の観客先の一番うしろにこっそりとすわっていたら、ちょうど、隣がその豪華審査員席だったらしく、めちゃくちゃいい席だった。一つ一つのコントにその豪華審査員さんたちが「辛辣なコメント」をする。

まるでスタートアップのピッチイベントのようだった。「お笑い」で成功を目指すセカイと「起業」を成功を目指すセカイが重なって見えた。コント職人の豪華審査員が、IVSローンチパッドの審査員と重なった。チョコプラの長田さんが「そろりそろり」とCW吉田さんに見えてきた。

ライブが終わって舞台裏を見せてもらって。栄養ドリンクの差し入れをした。

 

そんなこんなで、書籍の執筆は一向に進まなかった。

<つづく>

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#恋ボク 執筆裏話 9話 〜沖縄にめんそーれ〜

観光客もまばらで自然に囲まれた「鞍馬山」はとても神聖な場所だった。

川のせせらぎを聴きながら森の中をひたすら進む。木々に囲まれて山を登る。人の声は聞こえず、鳥のさえずりと風の音しか聞こえない。心が随分と洗われて、まるで生まれ変わったような気がした。

 

東京に戻るとすぐに現実に戻された。4月はみんなテンションが上がり始めているのか、アポイントが入りまくって忙しい。Googleカレンダーが予定で埋め尽くされ、メッセが行き交い、日常に忙殺される。

 

京都のパワースポット訪問から1週間たった4月12日。storys清瀬さんから久しぶりにメッセが来た。

 

大賞受賞の合格通知とともに、今度は沖縄!

めんそーれ!

 

ボクは出不精で旅行があまり好きじゃない。週末は家から一歩も出ないでソファーと一体化していることが多い。2018年、今年は一体なんなんだ。大阪、京都の次は沖縄。そういえば、別件でこないだ広島と熊本にも行ってきた。ニッポン各地にオレは呼ばれているのでは?という錯覚を覚えた。

 

沖縄は関与先N社の社員旅行で1度行っただけの未開の地だ。主にホテルで麻雀をしてたので、沖縄を満喫したとは言い難い。(美ら海水族館にだけはいった)

しかも「沖縄国際映画祭」。映画祭って一体何だ?

===

4月21日。週末1泊2日の沖縄での大賞受賞祝賀会。

日中はメインステージで行われている吉本興業のトップ芸人の方々のネタを生鑑賞。

和牛さん、とろサーモンさん、ジャルジャルさん、アキナさん、ゆにばーすさん。

いやー、まさかM1ファイナリストの方々のネタをタダで観れるなんて!

吉本興業さんが立ち上げた「沖縄ラフ&ピース専門学校」の見学。エレベーターでゆりやんレトリィバァさんとすれ違う。

夜は僕と一緒に大賞受賞した吉本興業所属の芸人さん「サンシャインの坂田さん」(注:サンシャイン池崎さんではない)も合流して、高級中華料理屋で祝勝会(?)に招待される。2次会は僕が高円寺に住んでいた頃によく行っていた沖縄料理屋の「抱瓶」に。

翌日は映画祭のメインディッシュ。恒例の那覇国際通りの「レッドカーペット」

テレビでよく見るカンヌとかでやってるやつの「沖縄版」ですね。

だけど、その日は大雨であいにくレッドカーペットは中止に。。

ボクとstorys清瀬さんは男2人やることがなく、国際通りを行ったり来たりしたり、昼間から屋台村で飲むことになったのですが、そこで起きた奇想天外な珍道中が。。。

国際通りパワーストーンの怪」

 

そのウケる内容はテキストにしづらいので、詳しくはvoicyにて収録されています。(2スロット目から)

インスタはこちら。

<つづく>

#恋ボク 執筆裏話 8話 〜京都においでやす〜

2018年3月20日に大坂で「人生で一番美味しかった牛肉」を食べてから1ヶ月が経過しようとしていた。
「大賞になるかもしれません」と高級料理店の耳元で囁かれたものの、その後、一向に正式な連絡はなかった。

芥川賞の結果を待つ太宰治かのような、神妙な心持ちは一切なく、ほぼ忘れていた。

大阪の会食から時を経ずして、次は「4月に京都で会食があります」とお誘いが来た。
大阪の次は京都!
なんて日だ!!

こういう時に「あいにく仕事が入っておりまして…」なんて断るやつは大抵イマイチなので、

「行きます!」と即答した。

後日、ご丁寧に自宅に招待状が届いた。(こんなの初めて)

僕の人生で「関西」は縁もゆかりもない。学生時代は中学時代の修学旅行でしか足を踏み入れたことはない。社会人になってからも、僕は経営企画部という内勤ばかりだったので「新幹線で関西出張」という営業部門の人たちに憧れたものである。

30代の某社CFO時代にM&Aの案件とやらで、2件ほど大阪の企業を買収した。一つは未上場企業で社員5名程度で西中島南方にあった。もう一つは大証2部の上場企業で堺筋本町近くにあり、「TOB」とやらを使って結構大掛かりな買収だった。

月イチで大阪訪問を2年ぐらいやっただろうか。
ここで詳細の説明は省くけれど、ハッキリ言って「ロクな思い出」が残らなかった。しかもそれは誰とも共有できないようなものだった。

でも今回は違う。
まず牛肉が美味かった。
そして、次は大阪ではなく京都である。

京都には一度だけ、日帰りで任天堂さんにお伺いした記憶がある。
病院みたいな建物だった。
仕入れ部門の有名な部長さんとの商談だったけど、記憶に無いぐらいスベった。

今回は違う。何か大きな流れに巻き込まれるように、京都に呼ばれたのだ。

「もうTOKYO(東京)には疲れたろうに。関西に、おいでやす」と京の神様に言われている気がした。

2018年4月3日。
「舞妓さん」が入ってくるようなお座敷だった。
2階のお座敷で、和室の窓からは花街に咲く桜が見えた。

 

15人ほどの宴で僕以外にも東京から5人ほど、若い社長さんみたいな方々が招待されているようだった。
隣に舞妓さんが座るものの、終始、恐縮するような空気感の中、時は過ぎた。
ホタルイカの鍋がとても美味しかった。

せっかく京都に来たので、明日は一人で「神社巡り」でもしようと思った。今回の件は間違いなく神様から「おいでやす」と言われたに違いないので、お礼にいかなくては。

TOKYOの都会に疲れていたこともあって、京都の神社に癒やされようかと思ったら、主要な観光スポットは外国人観光客でごった返していて、東京の銀座以上に息苦しさを感じてしまった。

「京都も癒やされない土地になってしまったな…」

早朝にシティホテルを出て、気づくと人混みを避け、行くあてもなく、北へ北へと敗走していった。
気づいたら「鞍馬山」の麓に来ていた。

大きな天狗が待ち構えていた。
「おいでやす」

 

<つづく>

#恋ボク 執筆裏話 7話 〜人生で一番美味しかった牛肉〜

「去年はヤフーBBの話でバズったので、今年も何か違うネタで書いてみますよ。改めて株主にもなったし」
とstorys清瀬さんに対して、意気揚々と執筆を宣言していた。

締切が2018年2月だった。僕はモスバーガー東高円寺店や日本橋コーヒービーンズ喫茶店にて、ボロボロのMacBookを持ち込んでシコシコとstorysの原稿を書いた。ビジネスタイムは避け、土曜日の午前中や平日の早朝に、昔あったことを思い出しながら書く作業は、脳の奥にしまってあるタンスの奥を掃除するような感覚で、耳かきカフェみたいな気持ちよさがあった。「あー、そういえばあんなシーンあったなー」などと空想しながら、一方でどういう文体で描けば分かりやすいか、に頭を捻った。

何とか細切れ時間を使って締め切りギリギリに書き上げてサイトに投稿した。


前回は投稿したらすぐにバズりはじめたのだが、今回は一向に反応がなかった。

バズらせた実績のあるオレの1年ぶりの大作。しかも、前回のヤフーBBの物語よりも、今回の惣菜屋を潰した話の方が内容には自信があった。すくなくとも前回いいね的なことをしてくれた人が5,000人ぐらいはいたはずだから、その人達から「おおー、2作目はもっとすげーぞこれ!」ってなるに決まってると思っていた。

「何でなんだ?おかしいぞ」

改めてstorysのサイトをチェックしにいった。

すると、僕の前回の「ヤフーBBの話」のシェア数がゼロになっていた。サイトリニューアルでゼロになっていた。僕は思わず清瀬さんにメッセした。

何も解決しなかった。

これはもはや恥ずかしいけれど、自分で拡散するしか無いと思ったが、ツイートボタンがなく、拡散することすらできなくなっていた。

プロダクトに口を出す、うるさいオッサンである。僕は実はPLBSなどの財務諸表よりも、プロダクトに口を出す方が得意なのだった。

恥を忍んで、自らツイートし、facebookにもポストするしかなかった。
「バズりました」と結果を報告するならまだしも、自ら一生懸命拡散させようとする姿はSNS上にいるオジサンで最も見苦しいと言われる行為の一つである。

ツイッターではスベり、何とかリアル知人の多いfacebookにて義理チョコ的ないいねやシェアを頂いた。

===

1ヶ月ほど経過した。

ムハマド・ユヌスさんと吉本興業さんの提携発表イベントは3月下旬に控えていた。僕はいくつかスタートアップ企業をご紹介したので、

「今度、大阪本社の方で内々の食事会やるので来てください」と招待を受けた。

食べログをチェックすると、「会員制高級牛肉」「一見さんお断り」「芸能人やプロ野球選手が来る」と書いてあった。普段、ガード下のやきとんと白ホッピーを主戦場とする僕にとって、久々の大舞台だった。

「牛肉」自体もサミット(スーパー)でアンガスビーフの硬いやつ、100g180円ぐらいのものが主食なので、高い牛肉は久しぶりだった。

店内はコの字型のカウンターで、料理長と女将さんが真ん中で次々と料理を出すスタイルで、ちょっと広めの高級寿司屋さんのようだった。カウンター15席、奥の座席も加えると25名ほどしか入れず、貸し切りスタイルだった。

座席は既に決まっているようで、僕はコの字席の入口近くだった。7割は吉本興業さんの幹部社員や若手の方で、残り3割は招待客のようだった。日本語がしゃべれない外人さんも2、3名いた。僕は吉本興業の社員さんに挟まれて、小さくチョコンと腰を掛けた。ほとんどの方と初めてだったので、冒頭から名刺交換がはじまった。

僕は知らない人との名刺交換というのが苦手だった。もはや定職がなくて、いくつかの会社で社外役員をやっていて名刺だけは渡されたりするのだけど、「一体自分は何者なのか?」と人に説明するのが面倒だった。

そんな中、お一人だけ、僕の名前を知っている方がいらっしゃった。

「あのー、もしかして、storysでお話を投稿されているスダさんですよね」

まさか、こんな高級料亭みたいなところで、「あのストーリーを投稿されているスダさんですよね」と言われるとは思わなかった。

その方は吉本興業×storys「カタリエ」の責任者の方だった。名刺交換しながら、
「こんな場で恐縮ですが、スダさんの作品が大賞になってしまうかもしれないのですが、いいのでしょうか?(お名前とか出てしまっても)」

といった内容だった。

そう、今回の会食ご招待は「吉本興業×ムハマド・ユヌス」プロジェクトに協力した「スタートアップ界隈の人」としてである。「吉本興業×storys カタリエ」に投稿した「作者」ではない。とてもややこしいのだが、たまたまこフィクサー的な動きをしたオッサンと物語を書いたオッサンが「同一人物」なのである。偶然、「同一人物」だった。

だから、会食の席では吉本興業の大崎社長にご招待された「スタートアップ界隈のフィクサー」風のVIP(?)かのように勘違いされ、吉本興業の現場責任者の方にとっては、そんな大御所が何やら惣菜屋を潰したとかショボい話を投稿してきて、でもその内容がそこそこ面白くて、300作品の中から大賞をとってしまいそうで、でも大物フィクサーがそんなショボい作品とともに本名を出していいのだろうか?と、わざわざご心配して頂いたのだろうと僕は推測した。

僕は
「もちろん、大賞でお願いします!書籍化、頑張ります!」

と答えた。

会食で頂いた牛肉料理の数々は、これまでの人生で一番美味しい牛肉だった。

ムハマド・ユヌスさんのイベントは3月28日に、ペニンシュラホテルにて大々的に行われた。

https://forbesjapan.com/articles/detail/21553#

個人的にはゆりやんレトリィバァさんの「昭和の女優の喋り方ネタ」が無茶苦茶面白かった。

<つづく>

#恋ボク 執筆裏話 6話 〜別件で吉本興業さんと。もろもろ。〜

傷心のIVSdojoから年が明けて2018年1月12日。
storys清瀬さんと某出版社部長さんとの第2回神楽坂ランチが催された。

ランチの議題は「吉本興業さんが今度社会貢献系のプロジェクトを立ち上げるので、それに賛同してくれそうなスタートアップ企業はいないか?」という話だった。

しかも、エンタメやIT、マネタイズでバイアウトやIPO、とか普段飛び交うカタカナ用語な会話ではなかった。

ノーベル平和賞をとったムハマド・ユヌスさんと協業するのでチカラを貸して欲しい」

壮大な話だった。

ノーベル平和賞?」

社会人人生20年を越え、仕事の会話で「ノーベル賞」が出てくることなんてなかった。(アホな部下たちとのランチタイムは除く)

吉本興業さんだから「社風的にギャグなのかな」などと思っていたら、後日、出版社の方からまた連絡があった。

「来週、吉本興業の大崎社長との会食があるので来てください」

ええー?いきなり社長…?マジか?

「念のため、30分前ぐらいには来てください。あ、あとスーツを着てきてください」

スーツを着て会食に臨むなんて、18年ぶりだった。
僕は思わずツイッターの裏垢でクイズを出してみた。

SBI北尾さんですか?オリックス宮内さんですか?光通信重田さんですか?セガですか?エイベックスですか?

正解者は現れなかった。

1月23日。銀座にあるこじんまりとした洋食レストランをほぼ貸し切りのような感じだった。去年ダイエットを辞めてぷくぷくと太り始めていたせいで、1着しかもっていない冬物のスーツのウエストが締まらなかった。気持ち、若干チャックを空けたまま会食に臨むことになった。

「笑う奴ほどよく眠る」という大崎社長の自伝を熟読して臨んだ。

偶然にも、若かかりし大崎さんは一回り年上の強烈な上司(木村さん)と対峙するシーンが多く、自分自身の20代サラリーマン時代が重なった。

約3時間。うんうん頷きながら、時には爆笑しながら、たくさんのお話を伺うことができた。

「あんなに大崎社長が自らお話されているのは初めて見ました、さすがですね」

と、お世辞だったかもしれないけど、同席された方から褒められた。

帰り際に大崎社長から「吉本興業105年史」という百科事典のような豪華な本を頂いた。

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その後、吉本興業新宿本社にもお伺いした。

新宿の花園神社そばにある小学校な建物が本社だった。昼間には来たことのない場所だった。
酉の市で昼から飲んで泥酔した記憶はある。
ゴールデン街の「無銘喫茶」という飲み屋で定期的に「ファミスタ大会」をやっていたのを思い出した。(きよぴのスライダー打てなかった)

現場の方々と具体的なプロジェクトについて打ち合わせをした。「マネタイズだけでなく社会貢献意識の高いスタートアップ企業」を繋いで欲しいとのことで、まずは僕の関与先で該当しそうな企業を矢継ぎ早にご紹介した。フーモア、ハンズシェア、Voicy、センスプラウトあたりだった。

3月にムハマド・ユヌスさんが来日し、ペニンシュラホテルでイベントをやる、とのことだった。ホテルの立食パーティーでガムシャラに飲み食いをする、乞食力の高い自分を妄想していた。

<つづく>